ゴミ屋敷の住人に対して、多くの人が「だらしない」「無頓着」といったイメージを抱きます。しかし、その心理状態を探っていくと、驚くほど正反対に見える「完璧主義」という特性が、問題の根幹に深く根ざしているケースが少なくありません。一見すると矛盾しているように思えるこの二つの要素は、実はコインの裏表のように密接につながり、本人を片付けられないという袋小路へと追い込んでいくのです。 完璧主義の人が片付けを始めようとするとき、彼らの頭の中には理想的な部屋の完成図が極めて高い解像度で描かれています。それはまるで、雑誌の特集記事に出てくるような、塵一つなく、全ての物が美しく整然と配置された空間です。そして、その完璧な状態に到達するためには、徹底的な分別、完璧な収納計画、そして家中をピカピカにする大掃除が必要だと考えます。 しかし、その理想が高ければ高いほど、現実とのギャップは大きくなります。目の前にあるゴミの山は、その完璧なゴールへ至る道のりが、いかに長く険しいものであるかを突きつけます。どこから手をつければ良いのか、膨大な作業量を前にして思考は停止し、「やるなら完璧に。でも、完璧にできる自信がない」という葛藤に苛まれます。この「全か無か」という極端な思考パターンが、彼らから最初の一歩を踏み出す勇気を奪ってしまうのです。 中途半端に手をつけて、理想とかけ離れた不完全な状態で終わるくらいなら、いっそ何もしない方がましだ。完璧にできないことへの恐怖と自己嫌悪が、行動を麻痺させ、結果的に「何もしない」という選択、つまり現状維持を選ばせてしまいます。これが、完璧主義が生み出す皮肉なパラドックスです。 部屋が散らかっている状態は、彼らにとって「まだ本気を出していないだけ」という言い訳を可能にします。しかし、その先延ばしは、問題をさらに深刻化させるだけです。この心の罠から抜け出すためには、「完璧」という呪いを解き、「六十点で良いから、まずは始めてみよう」という小さな一歩を自分に許してあげることが、何よりも重要なのです。
ゴミ屋敷に潜む完璧主義という心の罠