ゴミ屋敷という現象の引き金をたどっていくと、しばしば人生を大きく揺るがすような、深い「喪失体験」に行き着くことがあります。大切な家族やペットとの死別、突然の失職、信頼していた人からの裏切り。こうした心の傷、すなわちトラウマは、時として人を物へと執着させ、外界から自らを守るための砦を築かせるのです。ゴミで埋まった部屋は、実は持ち主が癒えない痛みを抱えながら、必死に心を保とうとした結果なのかもしれません。 大切な人を失ったとき、その人が使っていた物、一緒に過ごした思い出が宿る品々は、単なる物体以上の意味を持ち始めます。それらを捨てるという行為は、故人とのつながりを断ち切り、その存在をこの世から完全に消し去ってしまうかのような、耐え難い恐怖と罪悪感を引き起こします。物は、失われた温もりを留める最後の器となり、それに囲まれることで、持ち主は孤独感を和らげ、喪失という厳しい現実から一時的にでも目を背けることができるのです。 この心理は、さらに大きなトラウマ体験によっても引き起こされます。災害や虐待など、自分の力ではどうにもならない出来事に直面し、世界の安全性が根底から覆されたと感じたとき、人は無意識のうちに自分の心を守るための防衛機制を働かせます。その一つが、自分の周囲を物で物理的に固めるという行動です。自分のコントロール下における物で空間を埋め尽くすことで、予測不能な外部の世界からの侵入を防ぎ、かろうじて心の安全を確保しようとするのです。その砦は、他者から見ればゴミの山でも、本人にとっては唯一安心できる聖域なのです。 この状態にある人に対して、無理に物を捨てるよう強要することは、無防備な心の傷口に塩を塗り込むようなものです。解決のために必要なのは、まずその砦の存在を認め、なぜそれが必要だったのかという背景にある痛みに寄り添うこと。失われた安全な場所を、人との信頼関係の中で再構築していくという、丁寧で時間のかかるプロセスこそが、固く閉ざされた心の扉を開く唯一の鍵となるのです。