ある日突然、リモコンに表示された見慣れないエラーコード。それが私の平穏な、しかし荒れ果てた汚部屋生活に終止符を打つ戦いの始まりでした。蛇口をひねっても水しか出ない現実に直面し、私はスマホで「給湯器故障」と検索しましたが、次に頭をよぎったのは、交換に来る業者さんにこの部屋を見られるという恐怖でした。私の部屋は、コンビニ弁当の空き殻やペットボトルが膝の高さまで積み上がり、キッチンは食器を洗うスペースすらなく、脱衣所には数週間分の洗濯物が地層のように重なっている、絵に描いたようなゴミ屋敷です。この惨状を他人に、それもプロの作業員に見られるくらいなら、一生水で体を洗う方がマシだとさえ思いましたが、一月の寒さはそんな甘い考えをすぐに打ち砕きました。銭湯に通うのにも限界があり、意を決して業者に電話をかけた際、私の声は震えていました。見積もりのスタッフが来るまでの三日間、私は文字通り不眠不休でゴミを袋に詰め込み、玄関から浴室までの最短ルートを開拓しました。ゴミを捨てる暇はないので、とりあえず寝室の奥にすべてを押し込み、扉を閉めて「開かずの間」を作りました。作業当日、やってきたおじさんは私の必死の養生と、不自然に片付けられた廊下を見て、すべてを察したような顔で「大丈夫ですよ」と一言だけ言ってくれました。リモコン交換のためにキッチンに入られたときは、隠しきれない油汚れや異臭に心臓が止まりそうでしたが、彼は黙々と作業を続け、わずか一時間ほどで新しい給湯器へと交換してくれました。久しぶりにシャワーから温かいお湯が出たとき、私はその温もりに涙が出そうになると同時に、自分の生活をここまで放置してしまった情けなさに打ちひしがれました。今回の件で痛感したのは、住宅設備というものは自分の意志とは関係なく壊れるものであり、そのときに他人の介入を拒めないということです。どんなに恥ずかしくても、お湯なしでは生きていけません。これを機に、私は少しずつですが、寝室に押し込んだゴミを処分し始めました。給湯器の故障は、私の止まっていた人生の時間を再び動かすための、手痛い、しかし必要な強制介入だったのかもしれません。もし今、同じように部屋の汚さで交換をためらっている人がいるなら、どうか勇気を出してください。業者はゴミではなく機械を見ていますし、何よりお湯の出ない生活はあなたの心をさらに荒廃させてしまいますから。
給湯器の故障で汚部屋を晒すことになった私の苦悩